space●山より出るを自然生(じねんじょう)と云う
貝原益軒の大和本草
 貝原 益軒「大和本草」第6巻・薬類の項


じねんじょう以外の山芋類
【外来の栽培種


  ●植物学的な分類
 これほど、日本原産種で古くから付き合ってきた植物・食材・活用品でありながら、リアルな姿が正しく認知されていないのも珍しいものです。希少なもので、日常的に目にする事がない為いたしかたないのですが、現代に至っても呼称からして、確かに使い分けられておらず混乱したままです。
 よく使われる順で並べると「山芋」「自然薯(ジネンジョ)」「ヤマノイモ」でしょうか。「自然生(じねんじょう)」と呼ぶことは稀です。しかし、一般的な通念では「山芋」という括りの中に、ジネンジョもナガイモ、つくねイモ、大和芋なども含まれているようで、地域によって「山芋」といった場合それを示す実体は、仏掌芋であったり、イチョウ芋であったり様々で、逆に本来の「じねんじょう」を指摘する方が少ないでしょう。
 植物学的にも、単独で「山芋」という芋はなく、ヤマノイモ科に属する多様な山の芋の総称であって、バラを指しても、タンポポを目にしても、桜を示しても、これは「花」だと呼ぶことと同じです。

 植物分類学的に、山芋は「ヤマノイモ属」に括られますが、ヤマノイモ種はじねんじょう(自然生・自然薯/学名:D. japonica )のみを示します。(分類ツリーを参照ください)植物図鑑の多くでは、ヤマノイモ(ジネンジョウ)と表記されています。

 ※参照→ 植物分類ツリーの項


出雲風土記

【各地で編纂された風土記】

※暑蕷、薯蕷→しょよ、じょよ、じょうよ
じょうよまんじゅう→軽羹(山芋の蒸し菓子)

  ●古書での表記
 古文書などに表れる芋類の名称を追ってみましょう。
日本書紀には武烈天皇の巻で、「暑蕷を掘らしむ」との記述があり、奈良時代初期に編纂された豊後国風土記には「芋草」、出雲国風土記に「薯蕷」の記載がある。和名で「芋草」は「以閉都以毛(イへツイモ)」、「薯蕷」は「夜万都以毛(ヤマツイモ)」です。よく言われる「里でできるから里芋、山で採れるから山の芋」という呼称のルーツでしょう。
 芋草と書く「家ついも(里芋)」とは、形状も葉形も全く違うので、この二者の区分は明確なのですが、「薯蕷」と記された日本固有種の「山ついも」が、後に大陸から渡ってきる「薯蕷」(ナガイモ)との区分において、同名な故に混同され、使い分けが不鮮明になっていったと思われます。
 現代の中国では、自国で生産されるナガイモ類を「薯蕷」と記し、日本のじねんじょう(自然薯)を「日本薯蕷」と表記して、明確に分けています。


古代食

【自生のじねんじょうの蔓葉】

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平安期の芋粥

【再現された永安時代の芋粥】

  ●混乱のルーツ「薯蕷」
「薯蕷」という表記は、意味の拡散もあり、近代では呼称においても多様な読み方をされています。漢字的にはショヨ、又は、ジョウヨですが、そのままイモと読んだり、ヤマノイモやナガイモと呼称したり、挙句はトロロと読む場合もあります。サツマイモを唐いもと呼んだように、大陸の薯蕷を「唐嶼蕷」とでも表記していたなら、後世での混乱はなかったかもしれません。
 古くから中国大陸で栽培されていた「薯蕷」が列島に伝えられ日本でも栽培されるようになったのは、鎌倉時代の頃だと言われます。(日本の長芋とは違うという説があるようですが)もっと古い時代からかもしれませんが、明確な記録は残されておらず歴然とはしません。そして、そのまま漢語で表記され、列島の人々がヤマツイモと呼んでいた「薯蕷」と、併せて同じ表記で使われ、混乱のルーツとなりました。
 前述の出雲国風土記の頃には、大陸の「薯蕷」がまだ、伝わっていないとしたら、「薯蕷」と漢語で記載したのは、渡来系の役人か、又は、大陸で見知った者がその漢字を当てはめたものと思われます。つまるところ、「薯蕷」なるものは、漢語の表記が、実体(実態)より先に輸入され、違うモノに付与されてしまったと言えます。

 芥川龍之介「芋粥」の原典である鎌倉初期の「今昔物語集」では、「薯蕷粥」となっており、ヤマツイモは概して「薯蕷」と記してイモと呼んでいたのでしょう。ここでもヤマツイモかナガイモか判然とはしませんが、貴族たちのステイタスシンボルにもなったくらいですから、畑でヒョイと採れるナガイモではなく、人的労力が膨大に必要となる希少で風味の豊かなヤマツイモだったことは想像に難くないでしょう。

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江戸期の薬問屋

【宮崎安貞・農業全書】

  ●別称「山薬」とは
 大陸においては、健康機能性の高い「薯蕷」は食用のみならず、「山薬」という名で医療的にも活用されきました。文字通り「山のクスリ」です。
 これが日本に伝わり漢方で「山薬」といえばヤマツイモを示すことになります。中国で「山薬」といえばナガイモですが、日本ではヤマツイモ(じねんじょう)に限定されたようです。
 これは、江戸中期に貝原益軒によって編纂された「大和本草」(生物学書・農学書)にはっきりと記述されています。(本ページトップの写本を参照)
薯蕷は圃(ハタケ)にも多く作る也 味は山より出ずるに劣れり 山より出ずるを俗に自然生(じねんじょう)と云う 味最も良し」と記し、その生態を説明した後「薬には山にありて年数を久しく歴たものを用いる 圃(ハタケ)につくるは薬とすべからず」と薬用には自生のじねんじょうを使うよう念を押して、その効用を説明しています。最後にナガイモの変形種である「仏掌芋」に触れ、これは「薯蕷の類なり 菜蔬類に戴く」と別項にて説明すと記しているところを見ると、ナガイモから変種した「仏掌芋」や「捏芋」などは山薬に分類していないことが分かります。明治以前の農書としては絶対的な評価を持つ宮崎安貞の「農業全書」にも同様の記述があり、江戸期の専門家の間では、栽培の嶼蕷(ナガイモ類)と天然種のじねんじょうが明確に分類されていたようです。


スーパーの芋売り場

【江戸期の薬問屋】

  ●現代における山芋の呼称事情
 流通市場においても、ナガイモ以外の山芋類ははっきりと分別・区別ができておらず、雑多な呼称で混同されたまま流通していることもあります。監督官庁である農水省の統計でも、ナガイモ以外は一括してヤマノイモの項に押し込まれてしまっています。よって国内でのヤマツイモである「じねんじょう」、他の山芋類の正確な生産高・出荷高などは把握できないままです。
 ここ30年ほどで自生の天然種の山芋が、ナガイモのように圃場で栽培することが可能となり、各地で特産化が盛んになってきました。このことで、圃場環境に合わせた品種改良やバイオによる新種が生まれたりで、ヤマツイモ系(自然生・自然薯)において、呼称のみならず、品種的拡散そのものが進みつつあります。
 じねんじょうプロジェクトにおいては、日本原産種の自生種である可食のヤマツイモを「じねんじょう」と呼称し、他の交雑した自然薯やバイオ品種の山芋と明確に区別し、品種の確認・保全を行いながら流通と対応してく、そのことが、山芋類にまつわる混乱を収める一つの手立てと考えています。その為に、生産環境の確保や栽培方法の検証も見据えて、国内各地における生産団体との交流・情報交換などを併せながら、「じねんじょう」をより稔りある作物へと育成したく活動を進める所存であります。

●「じねんじょう」の品種・分類

     


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